ともは@アートコーチング

アートは常識を破壊する

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使命と魂と肉体の在り方についての表明(キュビズムかバロックか?)

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※この記事にはPRを含む場合があります。

「ともは(片平 智晴)」と申します。

東京藝大出身の画家で、8年間勤めた県立高校美術教師を退職し、現在は物販法人の会社経営をしながらアーティストとして作品制作とアートコーチングをしています。

アーティストとして作品制作も再開しました。今ある常識を疑って「世界の本当の姿」を暴いていく。それが僕のやりたいことです。

アートコーチングでは、遊びで自己理解を深める闇アートワークショップなどを行っています。「悪意の似顔絵セッション」が人気です。

改めまして、プロフィールをご覧いただきありがとうございます。

ぼくは『アート』『人との出会い』によって導かれてきました。

宮城県から飛び出して東京藝大に進み、卒業後はドイツへ留学。

帰国後は高校の美術教師になり、その後は起業独立。

現在は、アーティストと経営者をしています。

側から見たら順風満帆に見えることかと思います。

「やってんな〜」と思いませんでしたか?

ええ、その通りです笑

もちろん努力もしましたが、かなり恵まれた環境にいたことを今は自覚して深く感謝しています。

その上で「ぼくが果たすべき使命は何か?」

という命題に対し今ある常識を疑って「世界の本当の姿」を暴いていくことだと結論を出しました。

ただ、ぼくのやり方はやや激しめなので“バロック調”というか型破りなところがあります。

どういう経緯で今のぼくがあるか、少しでも伝わればと思って書いています。

放課後は森の中で遊ぶ(原体験)

山形県で生まれ、宮城県で育ちました。

幼い頃から手先は器用で、絵を描くことやブロックや工作が好きな子供でした。

工作や絵を描くことを通して人に興味を持ってもらうことが特技でした。

また木や岩石や水場が好きで、放課後は山中の沼で釣りや森を駆け回って遊んでいました。

この時の原体験があるからか、森と人の間のつながりには昔から人一倍強い感覚があります。

人は自然の一部でしかないはずなのですが、なぜか人は人のことばかり気にします。

もっと大きな流れがあることにこの頃から気がついていました。

また、新しい遊びやイベントを作ることが好きで、水鉄砲サバイバル(水鉄砲を使ったサバゲーのようなもの)やお泊まり会(深夜徘徊付き)などを企画し、仲の良い友人たちで集まってゲームや花火をするというのがものすごく楽しかったです。

これが今ではビジネスやアートコーチングの源泉にもなっていますね!

学校やルールが嫌いだった

小学生の頃は、とても成績が良く(?)勉強面で特になにか苦労した思い出はないです(感じ悪いですね…)。

特別な表彰とかもないから、飛び抜けてというものではないと思いますけどね。

そんなこんなで、地元ではそこそこ有名な中高一貫教育の私立中学校にお受験することになりました。

無事に合格して、仙台の街中にある中学校に通うことになりました。

ただ中学、特に高校は好きになれず楽しくもなく、常に口内炎が絶えずストレスをかかえていました。

ルールと謎のしきたり、同調圧力が山のようにある学校は、ストレスでしかなかったです。

授業中は漫画やイラストをずっと描いたり、考えたりしてほとんど勉強はしていませんでした。

そんな感じなので成績も悪く、親もびっくりして不安になり100万円もする教材を買って僕に渡してきました。

それを使っても学校の成績が上がるわけではなく、ほとんど意味のないものになってしまいました…。

そんなものを買わせてしまったことを未だに申し訳なく思います。

こんだけ嫌いだった学校に将来就職することになるとは、因果なものですね。

唯一の救いは「絵」だった

もともとあまり興味のないことには向き合えず、すぐに魂が抜けてしまう人間なのです。

絵を描くことで成立する人生の成功ルートを中学校3年生の頃に知り、これしかないと思いました!

「東京藝大受験」

地元の美術予備校に通い始め、初めはなんとなくで及び腰だったものの、高校生からは本腰を入れて絵に向き合い始めました。

漫画やアニメも好きだったのですが、どれにもハマりきらず、ただ絵を描くことは好きでした。

石膏デッサンやら平面構成やら静物着彩やら何十時間もかけて描くことは、それほど苦ではなくただただ楽しかったと言っても過言ではないと思っています。

元に藝大に受かった翌年の冬に、センター受験を受けなくて良いと安堵の涙は流したけど、石膏デッサンをもう2度とやりたくないとは別に思わかったし、今も嫌ではないです。やらんけど。

結果として3浪もすることになるのですが、それはまた後ほど。

卒業間際の嫌な思い出

さてそんな陰キャの絵ばかり描いてるオタクだったので、軽いですがいじめにも遭っています。

高校3年の3学期に卒業も近づいたことで、気が抜けて「自己主張しても良いか」と思ってしまったのです。

それまで文化祭の看板を描いたり、ひっそりとやりたいことはやっていたものの、あまり目立つようなことは意識的に避けてきました。学校にエアブラシを買ってもらってでっかい絵を描いてた!(その後10年以上使われてたっぽい👀)

きっかけはぼくの大嫌いな先生の似顔絵を描いてしまったことでした。

あまりにも良くできたので、拡大コピーして落書きしてたんですよね(おい!)。

思いの外ウケてしまって、男子校特有の悪ノリで広まってしまいました。

教室の時計の横に遺影のような黒線が追加され、デカデカと張り出されたりして無駄に目立ってしまいました。

その数日後からいじめ(?)は始まりました(幸い先生方に知られることはなかったのですが)。

朝学校に来ると、ぼくの机だけ椅子がなかったり、授業中に消しゴムのかけらを投げつけられたり。

幸いそんなもので「いじめ」というには大袈裟ですが、ここに書くまで誰にも言ったことはありません…。

それでも人に悪意を持たれるというのは怖いものです。

すぐに受験期間がはじまり自宅学習期間になりそのまま卒業したので事なきを得ました。

あのまま進んでいたら…と何度も考えてはゾッとします。

【中3→3浪】7年間もの受験勉強時代

本格的に絵を勉強始めたのは、先に書いた通り中学3年生の頃でした。

そこから3浪までの長~い浪人生活が始まることになるとは全く思っていませんでした。

1日平均9時間、受験直前は12〜14時間ぐらいは絵を描いていたと思います。

でも2浪目の冬の東京大手予備校の公開模試で結果は…

最下位。

ショックを通り過ぎて逆に冷静になり、これは何かの間違いではないかと思いました。

そんな時に声をかけてくれたのがその後の恩師になる人でした。

「とても素直な絵を描くね、ただこのままでは合格は難しい」
「正直、君の描いた絵は芸大に嫌われる絵だよ」

その場ではさすがに言われませんでしたが、後者は上京後に言われた言葉です。

厳しいながらも事実に基づいた正しいアドバイスで、耳は痛かったですがおかげで今の人生があります。

そこから宮城の地元を飛び出し、愛知や東京に遠征したり、母の東京の友人宅で下宿させてもらいながら予備校に通いました。

そこまでの費用はさすがに申し訳なさすぎてアルバイトで必死に貯めました

深夜のパン工場で、ドーナッツを1日1500個ぐらい一晩中揚げてました。

一日で2Kgぐらい痩せるのでダイエットにおすすめです。

深夜給なので結構稼げますし。

様々な要因はあれど、自分の人生にここまで本気になった一年はその時が初めてだったと思います。

自分で稼いだお金を全部自分に投資して、時間も気力も使い切って勝負して…

やりすぎたのか、試験前日に朝起きたら38.0°Cを超える熱が出て病院で点滴を打っていました。

さすがに泣きました・・・なんのためにここまでやってきたのか。

画材も予備校に置きっぱなしで、手元に無いし。

なんとか予備校に連絡し、知り合って間もない予備校生の友人に画材を届けてもらい受験に臨みました。

ライバルなのに、助けてもらって本当にあれがなかったら人生が変わっていた瞬間でした。

河合塾の予備校パンフレットに載せてもらった講評です↓

※名前が消えているのは身バレしたくない公務員時代の名残で、元データを紛失してしまいました😂

紆余曲折ありましたが、なんとか東京藝術大学に入学することができました!

この受験のおかげで自分に自信がつきました。

それまでの人生でなにかを成し遂げたと言えるものは何も無かったからです。

藝大での4年間の大学生活は、間違いなく人生を変えてくれました。

アートで常識を破壊する

カオス!東京芸術大学は「最後の秘境」だ | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

在学中・留学を経てアートについてたくさん学び、その魅力に取り憑かれてしまいました。

おそらく死ぬまでアートについて語り続けることを辞めないでしょう。

なぜこれほどまでに魅力を感じているかというと・・・

アートには既存の概念や破壊したり、

先入観をくつがえしてきたり、

とんでもなく美しい光景を見せてくれたりします。

こんなのアートだけです。

アニメや漫画や小説も好きですが、その物語は閉じられていてアートほどの余白もなく現実からは乖離しています。

アートには触れた人それぞれの「常識を破壊する力」がある。

そう思って「アーティスト」活動を再開しました。

教育公務員を辞めたのも、自分の人生に専念するためです。

教師という仕事には生徒たちを導くという大変やりがいのある魅力的な側面がありました。

その反面、常態化している問題は一向に改善されていません。古い慣習や意味不明な事務作業。偏りのある人事制度、評価制度など今の時代に合っていない状態に耐えられなかったので辞めました。

なんてったってやりたいことが自由にできない!

もっと楽しく自由に働きたい。

「ぼくにしか出来ないことがある」と信じて独立しました。

結果として毎日を刺激的で充実したものにできています。

「アーティスト」および「アートコーチ」として活動する理由

ぼくの人生には『アート』『人との出会い』が欠かせませんでした。

『アート』の魅力に取り憑かれたから今も走り続けられるし、

『人との出会い』があったからチャンスを掴んでこれました。

もしよければこのブログを読んだあなたのチカラになる機会をいただけたら嬉しいです!

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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