「ともは」と申します。
画歴20年の画家で、8年間勤めた県立高校美術教師を退職し、現在は会社経営をしながらアート型コーチングをしています。
この記事を読んでいるあなたに、自分と向き合うことで自分をもっと好きになれる。あなたの価値観を明確にしてやりたいことを理解するきっかけを創っていきます!
東京藝大卒業後、ドイツ留学で現代アートを学びました。現在は、独立起業して、経営者・個人事業主の方々との交流を通して学びを深めています。
独立して第二の人生が始まったと言っても過言ではないくらい日々が充実しています✨
改めまして、プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
ぼくに興味を持っていただけたのであれば幸いです。
僕は『アート』と『人との出会い』によって導かれてきました。
宮城県から飛び出して東京藝大に進み、さまざまな方々の支援を受けながら留学。
高校の美術教師としてキャリアを手に入れ、基盤を整えて起業独立。
さらに自分の理想の生活を叶えるべく日々奮闘しています。
側から見たら順風満帆に見えることかと思います。
しかし、これまでのキャリアの中で折に触れて『人がチャンスを運んで』くれた。
またそれを掴んできたという事実があります。
詳細をみていただければそんなに順風満帆でもなく、日々を全力で生きています。
僕の経験や情報が誰かのお役に立てたら嬉しいです!
コミュ障。引っ込み思案だった学生時代
山形県で生まれ、宮城県で育ちました。
幼い頃から手先は器用で、ブロックや工作・絵を描くのが好きな子供でした。
その反面、人とコミュニケーションをとることが億劫でひとり遊びの多い子供でした。
工作や絵を描くことを通して人に興味を持ってもらったりすることが嬉しかったです。
小さい頃に、絵や工作によって楽しかったという成功体験を積みました!
【変わるキッカケ】を与えてくれた人
その後は、中高一貫教育の私立男子校に入学しました。
中学時代はわりとお子様感覚ではあったものの、それなりに楽しい日々を過ごすことができました。
しかし、コミュニケーションは中学校に上がっても相変わらず苦手で、高校に入ると知らない生徒が一気に増えました。
クラスの大半は「話の合わない知らない人」という感じになってしまいました。
とにかく目立たないことを心がけ、失言しないように言葉は短く、人に迷惑をかけないように気を使う日々を過ごしていました。
学校は好きになれず楽しくもなく、常に口内炎が絶えずストレスをかかえていました。
その頃も絵を描くことは好きでした。
むしろ唯一の逃げ場所であり現実逃避方法でした。
授業中や行事の時は漫画やイラスト、シナリオなどをずっと考えたりしてほとんど勉強はしていませんでした。
そんな感じなので成績も悪く、親もびっくりして不安になり100万円もする教材を買って僕に渡してきました。
それを使っても学校の成績が上がるわけではないと思ったので、ほとんど意味のないものになってしまいました…。不安につけ込まれたんでしょうね。
そんなものを買わせてしまったことを未だに申し訳なく思います。
ちなみに学校の成績は傾向と対策なので、変な教材を買っても徒労に終わります。
成績を上げたければ、成績の良い先輩にテストの出題傾向や勉強の進め方などを聞いたり、テスト前や授業後に先生に直接・勉強のポイントや教科の大事な箇所を聞いた方が100%成績は上がります。
「答えは人が持っている」ということですね。
ただ一人で勉強しているだけだと周りは見えないものです。
卒業間際の嫌な思い出
さてそんな陰キャの絵ばかり描いてるオタクだったので、軽いですがいじめにも遭っています
高校3年の3学期に卒業も近づいたことで、気が抜けて「自己主張しても良いか」と思ってしまったのです。
それまで文化祭の看板を描いたり、ひっそりとやりたいことはやっていたものの、あまり目立つようなことは意識的に避けてきました。
きっかけは僕の大嫌いな先生の似顔絵を描いてしまったことでした。
思いの外ウケてしまって、男子校特有の悪ノリで広まってしまいました。
幸い、先生方に知られることはなかったのですが、無駄に目立ってしまいました。
その数日後からいじめ(?)は始まりました。
朝学校に来ると、僕の机だけ椅子がなかったり、授業中に消しゴムのかけらを投げつけられたり。
幸いそんなもので「いじめ」というには大袈裟ですが、ここに書くまで誰にも言ったことはありません…。
それでも人に悪意を持たれるというのは怖いものです。
すぐに受験期間がはじまり自宅学習期間になりそのまま卒業したので事なきを得ました。
あのまま進んでいたら…と何度も考えてはゾッとします。
【中3→3浪】7年間もの受験勉強時代
本格的に絵を勉強始めたのは、割と早くて中学3年生の頃でした。
そこから3浪の長~い浪人生活が始まることになるとは全く思っていませんでした。
1日平均9時間、受験直前は12〜14時間ぐらいは絵を描いていたと思います。
でも2浪目の冬の東京大手予備校の公開模試で結果は最下位。
ショックを通り過ぎて、逆に冷静になりこれは何かの間違いではないかと思いました。
そんな時に声をかけてくれたのがその後の恩師になる人でした。
「とても素直な絵を描くね、ただこのままでは合格は難しい」
「正直、君の描いた絵は芸大に嫌われる絵だよ」
その場ではさすがに言われませんでしたが、後者は上京後に言われた言葉です。
厳しいながらも事実に基づいた正しいアドバイスで、耳は痛かったですがおかげで今の人生があります。
そこから宮城の地元を飛び出し、愛知や東京に遠征したり、母の東京の友人宅で下宿させてもらいながら予備校に通いました。
そこまでの費用はさすがに申し訳なさすぎてアルバイトで必死に貯めました。
深夜のパン工場で、ドーナッツを1日1500個ぐらい一晩中揚げてました。
一日で2Kgぐらい痩せるのでダイエットにおすすめです。
深夜給なので結構稼げますし。
様々な要因はあれど、自分の人生にここまで本気になった一年はその時が初めてだったと思います。
自分で稼いだお金を全部自分に投資して、時間も気力も使い切って勝負して…
やりすぎたのか、試験前日に朝起きたら38.0°Cを超える熱が出て病院で点滴を打っていました。
さすがに泣きました・・・なんのためにここまでやってきたのか。
画材も予備校に置きっぱなしで、手元に無いし。
なんとか予備校に連絡し、知り合って間もない予備校生の友人に画材を届けてもらい受験に臨みました。
ライバルなのに、助けてもらって本当にあれがなかったら人生が変わっていた瞬間でした。
河合塾の予備校パンフレットに載せてもらった講評です↓
※名前が消えているのは公務員時代の名残で、元データを紛失してしまいました😂
紆余曲折ありましたが、なんとか東京藝術大学に入学することができました!
この受験のおかげで自分に自信がつきました。
それまでの人生でなにかを成し遂げたと言えるものは何も無かったからです。
藝大での4年間の大学生活は、間違いなく人生を変えてくれました。
その時、手を差し伸べられる人になる
自分の努力もあったとはいえ、恩師と友人との出会いがなかったらと思うと想像もつかないです…。
そこにいた恩師との出会いや予備校での出会った友人はたまたまそこにいた人たちでしたが、そこにいて僕に手を貸し、優しくしてくれたことで人生を好転させることができました。
人生を振り返ってみて、これほど人との関わりが大事だと気づけた瞬間はなかったです。
これを偶然じゃなくて、必然にしたい。
困っている人の助けになりたい。
そう思って「コーチ」になるという道を歩むことにしました。
教育公務員をやめたのも、自分の人生に専念するためです。
教師という仕事には若い生徒たちを導くという大変やりがいのある魅力的な側面がありました。
その反面、常態化している問題は一向に改善されていません。
古い慣習や意味不明な事務作業。偏りのある人事制度、評価制度など今の時代に合っていない状態に耐えられなかったので辞めました。
もっと楽しく自由に、より良い形で仕事ができると信じて独立しました。
結果として毎日を刺激的で充実したものにできています。
コーチとして活動する理由
僕の人生には『アート』と『人との出会い』が欠かせませんでした。
『アート』の魅力に取り憑かれたから今も走り続けられるし、
『人との出会い』があったからチャンスを掴んでこれました。
もしよければこのブログを読んだあなたのチカラになる機会をいただけたら嬉しいです!
長文にお付き合いいただきありがとうございました!
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